Real 第3話『まだ名前のない接続』


Shadowは、その翌週も同じゲームセンターにいた。

来たいわけではなかった。
けれど、来ない理由もなかった。
音楽に戻る気はまだない。
誰かと話したい気分でもない。
家にいても余計なことを考えるだけなら、光と音で頭を埋められる場所のほうがまだ楽だった。

前回と同じ筐体の前に立つ。
コインを入れる。
曲を選ぶ。
叩く。
結果が出る。
それを繰り返す。

ただ一つだけ違ったのは、あの少年がまたいるかもしれない、と少しだけ視線が周囲を探してしまったことだった。

探しているつもりはない。
だが、いないことを確認するような見方はしていた。

ーーー

「今日は少し早いですね」

声は、横からではなく後ろから来た。

振り向くと、やはりあの少年がいた。
前と同じように目立たない立ち方をしているのに、いると分かると妙に視界に残る。
メガネ。
細身。
派手さはない。
だが、見ている場所が少しだけ普通じゃない。

Shadowは小さく眉を寄せる。

「時間まで覚えてるのか」
「たまたまです」
「便利な言葉だな」
「ほんとです」

少年はそう言って、少しだけ困ったように笑った。
嘘をついている感じはしない。
本当に、見ていて覚えてしまったのだろう。

「お前、いつもいるのか」
「いる日はいます」
「曖昧だな」
「そっちもです」

その返しに、Shadowはほんのわずかに口元を動かした。
笑うほどではない。
だが、不快でもない。

「名前」
Shadowが短く言う。

少年は一瞬だけ目を丸くして、それから答えた。

「Serowです」
「本名じゃないだろ」
「そっちもたぶんそうですよね」

その一言で、今度こそShadowは少しだけ笑った。

「……まあな」
「じゃあ、おあいこです」

Serow。
軽い響きの名前だった。
風みたいだと、Shadowはぼんやり思う。
掴みにくいが、気配だけは残る類の名前だ。

ーーー

Shadowがプレイを始めると、Serowは少し離れたところで見ていた。
前みたいに近すぎない。
でも、興味がない人間の距離でもない。
ちょうど、邪魔しないまま観測できる位置を選んでいる。

その立ち位置が妙にうまい。

一曲目。
精度は高い。
二曲目。
後半の詰めで少しだけ強く入る。
三曲目。
前回よりも癖が少ない。

終わったあと、Serowが言った。

「前より均してますね」
「分かるのか」
「多少は」

Shadowは結果画面を見ながら、少しだけ鼻で笑う。

「前に余計なこと言ったからか」
「いや」
Serowは首を振る。
「たぶん、自分で気にしたからですよね」

図星だった。

前回、“呼吸”と言われたあと、Shadowは少しだけ叩き方を変えていた。
無機質に処理するように。
余計な揺れを減らすように。
身体が思い出しかける前に、輪郭を丸めるように。

それを、この少年は見抜いている。

「観察しすぎだろ」
「そうかもしれないです」
「怖いって言われないか」
「たまに」

Serowの返答は、妙に素直だった。
茶化して逃げる感じがない。
だから逆に、Shadowはそれ以上強く切れなかった。

ーーー

「お前、バンドとかやってんの」

何となく訊いた言葉だった。
だが、Serowはすぐには答えなかった。

「……やってないです」
少し間を置いてから、そう言う。
「でも、音は好きです」

Shadowは視線だけ向ける。

「どっちだよ」
「まだやってない、の方が近いかも」
「まだ?」
「うまく言えないですけど」

Serowは筐体のパネルを見ながら言葉を探していた。
感覚で喋るように見えて、実際はかなり選んでいる。
その慎重さが少し意外だった。

「聞いてると、たまにあるんです」
「何が」
「これ、自分で触らないと駄目かも、って思う音」

Shadowは黙る。

「動画とか、ライブ映像とか、ゲームの曲とかでも。
そういうの見てると、頭じゃなくて身体の方が先に反応する時があって」
Serowは自分でも少し照れくさそうに笑った。
「……変ですよね」

Shadowは、即答しなかった。

変ではない。
少なくとも、自分はそう思わない。
音楽を始める理由なんて、だいたいその程度に曖昧で、身体寄りで、あとから言葉が追いつくものだ。

だが、そんなことを丁寧に説明する性格ではない。

「別に」
結局、短くそう返す。
「よくある」

Serowはその言葉を、思ったより大事そうに受け取った。
ほんの少しだけ、表情が明るくなる。

ーーー

気の合う後輩、みたいなものではない。
まだ、全然そこまで行っていない。

それでもShadowは、Serowと話す自分を少し不思議に思っていた。
普段なら、二言三言で終わらせる。
面倒な相手ならその場で切る。
興味がない相手には、最初から壁を作る。

だが、Serowにはそれをしきれない。

理由はたぶん、こいつが音をスコアとしてだけ見ていないからだ。
ゲームを遊んでいても、判定だけじゃなく鳴り方を聴いている。
入力だけじゃなく、ズレや呼吸を拾ってしまう。
しかも、それを誇示しない。

面倒だ。
だが、嫌ではない。

それが一番厄介だった。

[T6: たまたま見せた手]

「それ、指ですか」

Serowが急に言った。

Shadowは水を飲もうとしていた手を止める。

「何が」
「叩いた時の。ちょっとだけ、スティックの持ち方みたいだった」

今度はShadowの方が、少しだけ目を細めた。

さっき、無意識にテーブルの縁を指で叩いていた。
一定のリズムではない。
ただ、待ち時間に身体が勝手に刻んでいた癖だ。
そこに気づく人間は少ない。
気づいても、そんな言い方は普通しない。

「見すぎだ」
「すみません」
「謝るならやめろ」
「難しいです」

その返答に、Shadowは呆れたように息を吐いた。

「……昔、少し」
それだけ言う。

ドラムをやっていた、とまでは言わない。
バンドをやっていた、とも。
Soilのことも、Oracleのことも、まだここで出す気はなかった。

だが、完全な嘘で切りたくもなかった。

Serowは、その短い言葉にだけ頷いた。
深掘りしない。
でも、なかったことにもしない。
その距離の取り方が、少しだけありがたかった。

ーーー

その日は、珍しくSerowが先に筐体へ入った。

「見ます?」
「勝手にしろ」
「じゃあ勝手にします」

選んだのは、速度変化の多い曲だった。
難度もそれなりに高い。
見た目ほど無謀ではないが、安定を取る選曲でもない。

プレイは、上手いというより素直だった。
理詰めで固めた精度ではなく、見えたものに身体を合わせにいくタイプ。
甘いところもある。
雑なところもある。
でも、流れに入った時の伸び方がいい。

Shadowは腕を組んだままそれを見ていた。

こいつは、まだ演奏者じゃない。
でも、身体のどこかが既に“合わせる側”の反応を知っている。
譜面を処理しているというより、流れに乗る接点を探している。
ゲームをしているのに、少しだけセッションの匂いがした。

プレイが終わる。
自己ベスト更新らしく、Serowは小さく息を吐いた。

「どうでした?」
その聞き方に、Shadowは一瞬だけ迷う。
褒めるのは性に合わない。
だが雑に切るのも違う。

「後半、走る」
「はい」
「でも戻し方は悪くない」
「……はい」
「今の曲、二回目か?」
「三回目です」
「三回でそれならまあ、悪くない」

Serowは少しだけ笑って、うつむいた。
嬉しいのを隠している感じが、分かりやすすぎる。

Shadowはその顔を見て、妙に昔を思い出しそうになって、視線を逸らした。

ーーー

帰り際、Serowが訊く。

「また来ます?」
Shadowは少し考えてから答える。

「たぶんな」
「じゃあ僕もたぶん来ます」
「便利な言葉だな」
「便利なんです」

それで会話は終わる。
連絡先も交換しない。
約束もしない。
次にいつ会うかも決めない。

だが、決めないまま、次もいるだろうと思える程度には、もう接続ができていた。

それは友情と呼ぶには早い。
信頼と呼ぶには薄い。
仲間など、もちろんまだ遠い。
ただ、Shadowの止まっていた時間の横へ、Serowという細い風が差し込み始めている。

それだけで十分だった。

止まったものを動かすのは、いつだって大きな衝撃ではない。
こんなふうに、どうでもよさそうな会話と、短い観測と、少しだけ正確な言葉から始まることがある。

ーーー

同じ頃。
Oracleの方でも、少しずつ何かが動いている。
Nomadはそれを見ている。
ariaはまだ、自分が誰かの停滞を崩す側へ入っていくとは思っていない。

そしてShadowは、その全部を知らないまま、ゲームセンターでSerowと二度目の会話を終えている。

ばらばらだ。
けれど、ばらばらのまま進んでいる。

後になってみれば、こういう時期が一番大事だったのだと分かる。
全員が一つの場所に集まる前。
まだ名前も形もないのに、別々の場所で再起の前兆だけが起きている時期。

構造は、完成してから始まるのではない。
見えないところで先に接続が生まれ、そのあとでようやく名前がつく。

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