私は、まだ誰にもこのことを話していない。
話していないというより、話せないのだと思う。
話そうとすると、たちまち言葉の方が先に壊れる。
見たものが曖昧だからではない。
曖昧なのに、妙に正確だからだ。
新聞の現場にいた頃、私はよく、出来事には輪郭があるものだと思っていた。
事故。会見。葬儀。火事。
どれも人がそう呼ぶから、そう見えるのだと。
名づけられたものは、写真の中でもそれらしく閉じる。
だが、今は違う。
ファインダーを覗いた瞬間だけ、名づけようのないものが混じる。
それは幽霊のように人の形をしているわけではない。
幻覚というには硬すぎる。
記憶というには他人行儀で、現実というには遠すぎる。
ただ、何かの途中のような像だけが、私の視界に滑り込む。
母が死んだあとからだ。
病室の白は、死のあともしばらく目に残る。
カーテンのひだ。
点滴台の金属の細い光。
夜勤の看護師の靴音。
人がいなくなっても、物の配置だけが残ってしまう、あの感じ。
あれを知ってから、私は、なくなったものの場所だけがやけに見えるようになった。
その少しあとだった。
Soilの訃報を知ったのは。
誌面のための情報として、先に入ってきた。
心臓発作。手術。不成功。
文字はどこまでも事務的だった。
それなのに、紙面の上でその名前だけが妙に沈んで見えた。
私自身が母の死でまともではなかったからかもしれない。
あるいは、別の理由だったのかもしれない。
今となっては分からない。
ただ、その頃からだ。
カメラの向こうに、写ってはいけないものが写るようになったのは。
最初に見たのは、路地ではなく、長い通路だった。
私はその夜、誰の取材にも出ていなかった。
締切を一つ落としかけて、編集部に残っていた。
誰もいなくなった机の島。
冷めた缶コーヒー。
電源の落ちたモニターに自分だけがぼんやり映っている。
そんな、ごく普通の深夜だった。
試し撮りの癖で、私は机の上の古い一眼を持ち上げた。
誰もいない編集部を、意味もなく覗いた。
暗がりの中で、ファインダーだけが四角く世界を切り取る。
そのはずだった。
だが、そこに見えたのは編集部の通路ではなかった。
白く細い道。
壁とも霧ともつかない面が、ずっと先まで伸びている。
途中で折れ、また折れ、行き止まりなのか続いているのかも分からない。
音はない。
なのに、何かが鳴り止んだ直後の空気だけがある。
私は思わず目を離した。
裸眼で見れば、そこにはいつもの机とコピー機しかない。
もう一度覗く。
やはり白い通路だ。
その奥を、誰かが横切った。
顔は見えない。
ただ、立ち止まらない。
迷っているようでいて、どこかへ向かっている。
その背中だけを見て、私は不意に、会ったこともない誰かを“知っている”気がした。
もちろん、おかしいのは私の方だ。
私はカメラを置いた。
洗面所へ行き、冷たい水で顔を洗った。
戻ってから、もう二度と覗かなかった。
だが、それで終わらなかった。
次に見えたのは、崩れた床だった。
今度はライブハウスの外だった。
取材先ではない。
別件の帰り道で、看板の明かりが雨上がりの舗道に滲んでいた。
私は無意識に足を止めて、濡れた地面へレンズを向けた。
照明の映り込みを拾うだけの、記事にもならない癖の一枚。
それで十分だった。
ファインダーの中で、水たまりは消えた。
代わりに見えたのは、黒く裂けたような地面だった。
金属の骨組みのようなものが半ば露出していて、その下には落ちてはいけない深さがあった。
その縁を、四つの影が走っている。
正確には、四人いたと後から思っただけだ。
見えているときの私は、人数さえ数えられなかった。
速すぎたのでも、暗すぎたのでもない。
ただ、見えている情報の種類が、現実と違っていた。
一つの影は、止まっているように見えて、全体を動かしていた。
一つは、直線ではなく、流れを繋いでいた。
一つは、重く受け止めていた。
もう一つは、ずらしていた。
それを、人間の動きとして認識するまでに、数秒遅れた。
その時には、もう、別のものが見えていた。
輪郭のない塊。
霧とも煙とも違う。
音もなく、しかし圧だけを持つもの。
それが床の裂け目からではなく、空間の“関係”から生えているように見えた。
私はシャッターを切った。
反射だ。
何であれ、目の前にあるなら撮る。
それが長年の習い性だった。
だが、保存された画像には、ただ濡れた舗道と照明しか残っていなかった。
現実に戻ったあとほど、恐ろしいものはない。
見たはずのものが一切痕跡を残していないとき、人は自分の神経を疑うしかないからだ。
私はその夜、撮った写真を削除しなかった。
消すべきだったのかもしれない。
だが、何も写っていない写真を消せない時点で、もう私は普通の手順から外れていた。
それからだ。
私は、見る前に少しだけ分かるようになった。
ファインダーを上げる、その手前。
光の焦点が合う直前。
ごくわずかに空気が変わる。
人のいる風景なのに、人間だけでは埋まらない隙間が出る。
そういう時にだけ、向こう側が混じる。
誰かが走る。
誰かが落ちる。
誰かが手を伸ばす。
誰かが、まだ鳴っていないはずの音を探している。
それらは私には断片でしかない。
並びもしないし、説明もつかない。
夢にしては冷たく、現実にしては手触りが薄い。
だが、何度見ても思う。
あれは、私のための像ではない。
私は呼ばれているのではなく、ただ、見えてしまっている。
だから困る。
もし呼ばれているなら、応えるか否かを決めればいい。
だが、ただ見えてしまっているだけのものには、返答の形式がない。
無視するのか。
記録するのか。
忘れたふりをするのか。
どれを選んでも、選ばなかったものが残る。
今夜もまた、私は編集部の隅で、誰にも渡さないメモを書いている。
書けば理解できると思った。
少なくとも、見たものの順番くらいは整うと。
だが実際には逆だ。
書けば書くほど、あれらがどこかで繋がっていることだけが分かってくる。
白い通路。
崩れた床。
四つの影。
輪郭のない圧。
まだ鳴っていないのに、鳴ったあとのような静けさ。
あれが一つの場所なのか。
一つの時系列なのか。
あるいは、誰かの痛みが別の場所に映っているだけなのか。
私には分からない。
ただ、ひとつだけ、妙に現実的な感覚がある。
あちら側には、順番がある。
壊れる順番。
耐える順番。
ずらす順番。
繋ぐ順番。
そして最後に、届く順番。
私はそのどれの中にもいない。
いないはずなのに、ときどき、最後の順番だけがやけに鮮明に見えることがある。
音だ。
姿より先に、音のための空白が見える。
何かが鳴れば、そこだけが揃うと分かる。
それが何の音なのか、誰のものなのかは分からない。
けれど、それがまだ来ていないことだけは分かる。
だから、私は少しだけ待っている。
待っている、と言うと、まるで希望のようだ。
だがたぶん、そうではない。
確認したいだけなのだと思う。
自分が壊れて見ているのではなく、本当にどこかで何かが進んでいるのだと。
もし次にまた見えるなら、今度は通路ではなく、その先を見たい。
崩れた床ではなく、そこを越えたあとの景色を。
四つの影の動きではなく、その中心でまだ名を持たない何かが、どう終わるのかを。
もっとも、終わるとは限らない。
むしろ、私が見ているものはいつも、終わりではなく、その手前ばかりだ。
未送信のまま止まった言葉。
完成する前の輪郭。
鳴る直前で息を止めた音。
そういうものだけが、なぜかこちらへ滲んでくる。
だから、この記録にも宛先はない。
送れば、誰かが答えを求める。
答えを求められた瞬間、これはただの作り話になる。
それでは駄目だ。
これは作り話であってはいけないし、現実そのものであってもいけない。
ただ、見えたものとして置いておくしかない。
机の引き出しにしまう前、私は最後に一行だけ書き足した。
焦点距離の外で、まだ鳴っている。
それが何なのかは、まだ分からない。
だが、分からないまま記しておくことだけが、
今の私に許されたいちばん正しい行為のように思えた。