Real 第20話『感覚の輪郭』


一方その頃、男三人は少し古い飲み屋へ入っていた。

チェーンではない。
でも気取りすぎてもいない。
カウンターと小さなテーブルがいくつかあるだけの店。
照明は低く、木のテーブルには長い時間の染みが残っている。
こういう夜にはちょうどいい場所だった。

Shadow と Nomad は、最初の一杯が来るまでほとんど何も話さなかった。
Serow はその向かいで、妙に姿勢よく座っている。
場違いではないが、まだ完全には馴染んでいない。

「緊張してるのか」
Shadow が言う。

「少し」
Serow は正直に答える。
「二人とも、さっきのあとで普通に飲めるんだなって」
「普通じゃないから飲んでる」
Shadow が返す。

Nomad はグラスを持ち上げる。
「正しい」
それだけ。

少しだけ間があって、三人とも最初の一口を飲む。

「……で」
Shadow が低く言う。
「お前は何なんだ」

Serow は少しだけ目を丸くする。

「何なんだ、ですか」
「さっきから妙に変なとこだけ掴む」
「褒めてます?」
「半分」
Shadow が言う。

Nomad が、その横でわずかに口元を動かす。
笑ったのか、ただ癖なのかは分からない。

「お前、自分で分かってるか」
Nomad が訊く。

「何をですか」
「音の話をしてる時、言葉になる前の形を先に掴んでる」

Serow は少し考える。
分からない、と即答した方が正直だった。

「……たぶん、完全には分かってないです」
「だろうな」
Nomad は頷く。
「でも、あれは使える」

「使えるって言い方やめろ」
Shadow がすぐに言う。
「こいつは機材じゃない」
「分かってる」
Nomad は淡々と返す。
「才能の話だ」

Serow は、その言葉に少しだけ固まった。
才能。
自分に向けられると思っていなかった言葉だった。

「そんな大げさなものじゃ」
と口にしかける。
だが Nomad は途中で切る。

「大げさじゃない」
「……でも、僕まだ何もできません」
「できるできないの前に、見えてる」
Nomad は言う。
「それは珍しい」

Shadow はグラスを置き、少しだけ Serow の方を見る。

「俺はこういうの、あんまり信じない方なんだけどな」
と言う。
「でも、今日はちょっと分かる」

Serow は、返す言葉を失う。
Shadow がそんなふうに言うとは思っていなかった。

「お前、技術はない」
Shadow は続ける。
「まだ全然」
「はい……」
「でも、だから逆に、変な癖もまだ少ない」

Nomad がそこへ重ねる。

「感じたものをそのまま取ってる」
「それって、そんなにいいことですか」
Serow が訊く。

Nomad は少しだけ考えてから答える。

「最初はな」
「最初?」
「そのうち技術をつけると、余計な正しさも覚える。
それが悪いわけじゃない。
でも、最初に持ってた“変に正確な勘”をそこで失うやつは多い」

Shadow はそこで、珍しく静かに頷いた。

「分かる」
その一言は、昔を含んでいた。
技術を持つこと。
正しくなること。
そして、その途中で失うものがあること。

Serow は、その二人の間にある共有を感じる。
自分の知らない長い時間。
失ったものを知っている人間同士の会話。

「じゃあ……どうすればいいんですか」
と、思わず訊く。

今度は Shadow が答える。

「なくす前に、自分で知っとけ」
「何を」
「自分が、どこで“来た”って思うのか」

Serow は黙る。

どこで来たと思うか。
それは、上手く弾けたかとか、正しいかとか、そういう話ではない気がした。
もっと前の、身体が先に反応する場所のことだ。

Nomad が少しだけグラスを回しながら言う。

「今日、お前は見てただけだ」
「はい」
「でも、ただ見てたやつの顔じゃなかった」
「……そんなに分かりやすいですか」
「分かる」

Shadow も小さく言う。

「見てるだけの顔って、もっと外にいる」
「お前は、もう半分中に入ってた」
その言葉に、Serow の胸が少し強く鳴る。

半分中に入っていた。
自分では、まだ何も始まっていないと思っていた。
でも、今日あの場で見たものは、確かに外の出来事ではなくなっていたのかもしれない。

店の空気はゆっくりしている。
他の客の話し声が遠くで混ざる。
それでも、このテーブルの上だけは妙に静かだった。

Nomad がそこで、ふと話題を変える。

「お前、楽器やるのか」
Serow は、一瞬だけ本当に呼吸を止めかけた。

黒いケース。
まだ誰にも言っていない。
部屋で重ねている不格好な一音。
楽器店。
選んだ一本。

全部が一瞬で頭をよぎる。

「……まだ」
と答える。
嘘ではない。
まだ、としか言えない。

Shadow は、その返答を横で聞いていた。
だが、深く追わない。
たぶん何かある。
でも今はそこまでだと感じたのかもしれない。

「まあ、そんな顔はしてる」
とだけ言う。

Serow は少しだけ目を見開く。
「顔ですか」
「始まりかけてる顔」
Shadow はグラスを持ち上げる。
「前にも言った気がするな」

それは、ゲームセンターでの会話の延長線でもあった。
Serow はそこで、少しだけ笑う。
照れたように。
でも、嬉しさも隠しきれないまま。

Nomad は、その反応を見て、静かに確信する。
この少年はまだ未完成だ。
だが未完成だからこそ、今の時点でしか拾えないものがある。

今夜、箱の中で動いたのは Oracle と Shadow だけではない。
Serow の中でも、音へ向かう位相が一段だけ切り替わっている。

「焦るな」
Nomad が言う。
「でも遅れるな」

Serow は、その矛盾したみたいな言葉をそのまま受け取る。
焦らない。
でも遅れない。
きっと今の自分には、それくらいの言い方がちょうどいい。

Shadow はそこで、少しだけ笑う。

「お前、たまにいいこと言うな」
「たまにじゃない」
Nomad が返す。
「普段から言え」
「聞いてないだけだ」

そのやり取りに、Serow は思わず笑ってしまう。
Shadow も、完全には否定しない。

今夜はたぶん、誰も大げさなことを言わない。
再結成でもない。
約束でもない。
宣言でもない。

それでも、三人のテーブルの上には、確かに一つの前進が置かれていた。

Shadow はもう、完全に外にはいない。
Nomad は構造を見ている。
Serow はまだ何者でもないのに、音の入り口へ立ち始めている。

そしてたぶん、その全部は、さっきの箱で鳴った一度きりの核から続いている。


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